エーゲ海周遊(ギリシャ→トルコ) ②:アテネ
一日に3本の飛行機に乗り継ぎ、大阪からパリ経由でアテネへ。
アテネ国際空港に着陸したのが23時。
空港から市内中心、シンタグマ広場行きのバスに乗る0時過ぎ。6€。
夜に寂れたバスに揺られ、車窓から見える景色というのは、フォントが硬く安っぽいデザインの看板ばかりだ。こういった看板はタイなどの東南アジアの地域のものと似ている。
シンタグマからは徒歩で予約しておいた宿舎に向かった。
深夜のアテネの雰囲気はアメ村のような雰囲気だ。
陽気な若者達が盛り上がり、行く当ての無い人が耳を塞ぐように眠っている。
私は日本からの時差含め、徹夜明け状態だったため、宿に着くとすぐに眠った。
"ATHENS HOUSE"という宿に泊まったが、薄暗い立地にあり、ゴキブリが多かった。
目覚めた後、今後の旅のプランを一通り立て、フェリーなどを予約し、アテネの街に散策に向かった。スマートフォンとカードがあれば、世界一周も難しくないだろう。
おどろおどろしい雰囲気の深夜とは異なり、日中は一見、普通の街だ。
アテネの中央市場、肉コーナーと魚コーナーがメインか。シーフード類の値は張る。
漫画のような包丁でザクザクと肉を捌くおばさん。音…。
少し歩くと、アクロポリス遺跡が見える。この辺りからは観光客も多い。といっても欧米人ばかりだ。
写真の手前に広がるのは、アゴラ遺跡。
紀元前6世紀頃、日本がまだ縄文時代だった頃だ。
ここに人々が集まり、市場を開いた。方や、その横では、日々討論が行われ、哲学についても話し合いが行われたのだろうか。
そういった情景を思い浮かべると、ギリシャの歴史の深さに飲み込まれて行くようだ。
ギリシャ哲学について思い返そうとしたが、記憶が減っている。少し残念だ。ソクラテス、プラトン、アリストテレスくらい。
右奥に見えるのがアクロポリス遺跡。
この日は、何故か入場料がフリー、0€だった。
生まれて初めて0€と書かれたチケットを入場ゲートにかざした。清々しい。
アクロポリス遺跡自体が、小さな丘の上にあり、360度アテネの町並みを拝める壮観な場所だ。
そもそもアクロポリスという言葉自体が、小高い丘という意味らしいが。
見下ろした景色の先、アテネの建物は白い、アクロポリスの周りの建物だけはオレンジ色の屋根だ。景観ということなのだろうか。
有名なパルテノン神殿。
アクロポリスの中心。重鎮のように、存在感を示している。
一部は修復中ではあったものの、ギリシャ建築、柱などに注目だ。
まさかこの後、毎日違う夕日を見ることになるとは思ってもいなかった初日の夕日だ。
アレオパゴスの丘。沢山の人達がアテネに沈む夕日を静かに眺めていた。
皆が同じ方向を向き、思い思いに何かを浮かべながらも、その一部に夕日のことが頭にあったことだろう。
夕日が沈みきった時、ここにいた全ての人と、同じ経験を共にする、という一種の一体感。私は傍らに勝手に浮かべてしまった。
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歴史あるアテネ。
活気あるアクロポリス神殿の周り、フラフラっと街を歩いていても沢山の観光客で賑わい、楽しい一面が伺える。
陽気な欧米人達に、私たち日本人はテンションの上げ方に困ることも時にはあるようだ。
勿論、夜景も綺麗だ。
しかしながら一方で、近年のギリシャ危機以降、景気は大きく落ち込み、デモや暴動が多く発生していたのも事実だ。
先ほども述べたが、苦しい生活を強いられているであろう人達が実際に何人も溢れている。物乞いやテント、道端でただ眠るだけの人、どの層の人が買うのか疑う露天商。
見ぬ振りしようとも、視界のどこかには自然と写る景色だった。
こういったことと関係あるかは分からないが、アテネの街歩きで、最も私の目に止まったのが、街中にあるペイントだ。
寧ろ、ペイントされていないシャッターや公園、壁を探すのが難しいくらいだ。全部ペイント。落書き、落書き。
車両に落書きされた電車が何食わぬ顔で運行されていることにも驚いた。
一つのギリシャ文化と言えるレベルになってしまっている。
私の先入観かも知れないが、日本でもアンダーグラウンドな場では、こういったペイントは多い。
もし、同じような考えを持ってペイントがなされているのだとするならば、アテネは街全体がアンダーグラウンドとなってしまう。
アテネの街の歴史と今。
こういったことをボーッと考えながら眠りについた夜だった。
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ランチ、ケパブ。ファストフード。
グリークサラダ。
サラダと言えば、トマト、きゅうり、トマト、トマト、オリーブにチーズ、はい、ドレッシング。大体全部こんな感じ。
これに合わせて、パスタも食べました。ビールも飲みました。